<フリーランス新法>

pressココロ上




最近のニュースを見ていて僕が不思議で不思議でならないのは「闇バイト」です。「バイト」という名称がついていますので、「仕事」というイメージを受けますが、言うまでもなく「犯罪」です。「犯罪」自体は昔からあることですので、不思議でもなんでもありません。ですが、その「犯罪」をどうして「バイト形式」で実行するのか、それが不思議でなりません。

「犯罪」にもいろいろありますが、その中でも「闇バイト」は最も単純な部類で、いわゆる「泥棒」です。難しい言い方ですと「窃盗」というようですが、要は「他人のものを奪い取る」ことです。「泥棒」を犯す人はそれなりに理由があるはずです。すぐに思いつくのは「お金に困って」です。資本主義の日本では「お金がない」と生活できませんから、それなりに理解はできます。ですので、生きていくために「泥棒」をしてしまうのでしょうが、そこには自分の意思があります。自分で決めているところが「闇バイト」とは違う点です。

「泥棒」にも人に肉体的危害を与えるものと、与えないものがあります。危害を与えないものとしては「スリ」があります。盗まれた人でさえ気がつかないのですから熟練の技が必要です。それに対して肉体的危害を与えるものとしては「強盗」があります。「強盗」は熟練の技などは必要ありませんので「スリ」よりも敷居は低くなります。「闇バイト」はすべて「強盗」です。

現在、Netflixで「地面師たち」という犯罪ドラマが人気だそうですが、「地面師」は単純な「泥棒」とは違い、頭のいい人たちが練りに練った高等な戦術を使った犯罪です。それに比べ、「強盗」は単純です。複雑な計画を練る必要もなく、単に身体を使って強引に奪うだけです。

最近の報道では、「ホワイト案件」のつもりで「バイト」に応募し、それが途中から「闇バイト」と気がつきながら「強盗」に加担している例もあります。理由を聞きますと、個人情報を渡してしまい「脅されて」引き返せなくなったそうです。そうした事例ですと、最初から「闇バイト」に応募したわけではありませんので同情の余地はあります。それに対して最初から「闇バイト」を承知のうえで応募する人たちは咎められて当然ですが、人に指示されて強盗をする人気持ちがなんとも理解できません。

もしかしたなら、自分の意思で「強盗」を犯すよりも、他人に指示されて犯したほうが「気分的に楽」という気持ちがあるのかもしれません。確かに、「自分で決めた」わけではありませんので指示した人に責任を負わせることができます。ですが、「強盗」をしたのは紛れもない自分ですので、犯罪者の責任から逃れることはできません。

僕の感覚からしますと、自分の意思ではなく他人に指示されて犯罪に加担するのではあまりに損な役回りと感じてしまいます。「闇バイト」に応募する若者たちにそのような考えは起きないのでしょうか。しかし、もしかしますと「他人に指示される」ことに快感を覚える人は一定数いるのかもしれません。僕がそのように想像するのは、書店のビジネスコーナーに並んでいる本のタイトルに理由があります。

前にも書いたことがあるのですが、ビジネス書のタイトルには「命令口調」のものがやたらと多いのです。「〇〇したいなら△△しろ!」といった類ですが、このようなタイトルの本は大分前から出版されています。こうした本が出版されるということは購入する人が一定数いるからですが、「命令されることを好む人」と「指示されたい人」は根底でつながっているように感じます。

両者には共通点があります。それは「自分で決めているわけではない」という思いです。「命令されたから」「指示されたから」仕方ない、と思うことで責任から逃れようという気持ちがあるように思います。「命令する人」や「指示する人」からしますと、これほど扱いやすい人はいません。なにしろ自分で考えず判断せずに言われるがままに行動してくれるのですから。

「バイト」ではなく「正社員」という立場で犯罪に加担する人もいます。1980年代に豊田商事事件というのがありました。金の地金などを用いた悪徳商法を犯していた企業の事件ですが、似たような事件は数年おきに起きています。こうした事件が起きるたびに僕は思うのですが、こうした悪徳企業で働いていた社員は罪悪感に苛まれることはないのでしょうか。もし、社員みんなに正義感があったならこうした会社は存続できません。会社に言われるがままに従うことに疑問を持たないことがすでに罪を犯していることになります。

そこでフリーランス新法です。今月一日より通称「フリーランス新法」という法律が施行されました。簡単に言いますと、フリーランスで働いている人を守るための法律ですが、今までは泣き寝入りするしかなかったフリーランスの立場の人たちが救われるようになります。

個人事業主は「フリーランス」という立場とほぼ同義語ですが、仕事を請け負う立場の人はほとんどが含まれるはずです。僕はお店を開業した30歳からずっと個人事業主ですが、お店を廃業したあともずっと個人事業主の立場を続けています。つまり、請負の仕事に従事しているのですが、理由としては、企業が「中年になった個人事業主は扱いにくい」と思っていることがあります。また、僕にしても社員になることで会社に縛られることを避けていることもあります。

そうした理由でずっと個人事業主の立場ですが、これまでは運よく理不尽な対応を受けたことはありません。反対に、副業として行っていたアルバイトで「給与不払い」という憂き目にあっています。それはともかく、僕は個人事業主の立場では、単価の引き下げとか報酬の遅延などの経験はありませんが、ネット記事を見ていますと少なからずいるようです。そうした人たちが救われるのはとてもいいことです。

そもそも普通の感覚の持ち主であったなら、企業に勤めている人たちは下請けの人たちに対して単価の引き下げや報酬の遅延などといったフリーランスが損失を被るような対応をとることに罪悪感を持つべきです。単純に自分が「フリーランスの立場だったら」と考えるだけで理不尽な対応などできないはずです。それがなされず前例のまま、先輩や上司に言われるがままにフリーランスに理不尽な対応をとっていたなら反省をするべきです。

フリーランス新法について記事を読んだときに真っ先に思ったのはそのことです。企業で働いている人たちはどうしてフリーランスの人たちの立場を思いやれないのか、と思いました。話はかなり飛びますが、以前「関心領域」というナチスの幹部の家族を描いた映画について書きました。これは「アウシュビッツ強制収容所で所長を務める家族の生活を描いた作品」ですが、この映画の肝は「悲惨な生活を強いられている強制収容所と壁一つ隔てたところで普通に楽しく暮らしていること」です。まさに「関心を持つ領域」がテーマなのですが、僕にはフリーランスに対して理不尽な対応をしている社員の人たちが「ナチス幹部の家族の姿」と重なって見えます。

今でもガザやウクライナでは悲惨な生活を強いられている人たちがたくさんいますが、遠く離れた日本ではどうしてもそれほど肌で感じることとはできません。人間というのはそのような生き物です。ですので、せめて自分の身の回りの出来事、接している人に対しては相手の気持ちを慮る対応をとってほしいものです。

弱い立場の戯言でしょうか。金子 みすゞ。

じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする