<いい者と悪者>

pressココロ上




高市首相の国会での「存立危機事態」発言の余波が続いていますが、世論の風向きが変な方向へ行かないかと心配しています。先々週、「勇ましい言葉」というタイトルでコラムを書きましたが、時として「勇ましい言葉」は大衆を引きつける力を持ちますので、不安な気持ちになっています。

今はSNS全盛の時代です。SNSがこれだけ社会に広がる前は、情報を発信する機会や場がそれほどありませんでした。ですので、揚げ足を取ったり取られたりすることはそれほど多くありませんでした。しかし、今は違います。ちょっとした隙間があれば、蟻の一穴ではありませんが、どんどん突いてきます。

最近、それを強く感じたのは、高市首相から「存立危機事態発言」を引き出した立憲民主党・岡田議員の質問です。「引き出した」という表現を使っていいのか迷うところですが、岡田議員の質問をきっかけに出てきた言葉であることは間違いありません。ここで「普通」と書くと怒る人もいるかもしれませんが、少なくとも昭和男の感性で言えば「普通」になりますので、何卒ご理解ください。

普通、質問されたらそれに答えるものです。岡田議員の質問もシンプルに「存立危機事態」について尋ねただけです。しかし、高市首相の発言は、これまでの歴代首相の答弁を超えた「踏み込みすぎた発言」でした。だからこそ、ここまで問題が大きくなったのです。当初は「高市首相の踏み込みすぎた発言」が問題という受け止め方が多かったのですが、次第に「質問した岡田氏が悪い」という流れになってきました。「あんな質問をしたから、高市首相が踏み込みすぎた発言をしたのだ」という論調です。高市首相も、こうした論調の変化を感じたのか、その後の国会では「聞かれたから答えた」と強気に発言しています。

例えば、Aが質問をしてBが答えたとき、Bの答えに対する責任はBにあります。誰かに脅されて、自分の意思とは異なる返答をしたのでない限り、その責任は間違いなくBにあります。繰り返しになりますが、答えたのはBだからです。しかし、岡田議員と高市首相のやり取りでは、「踏み込んだ発言をした高市首相ではなく、質問をした岡田氏が悪い」という論調が出てきました。こんなことがまかり通るのでしょうか。昭和男は納得できません。

本当に今の時代は、なにが正しくてなにが悪いのかわからなくなってきました。あれほどメディアを騒がせた兵庫県斎藤知事の騒動も、結局のところどちらが「いい者」でどちらが「悪者」だったのか、わからなくなっています。今ではメディアの関心も薄れ、報道されることも少なくなりましたが、あの騒動ほど「いい者」と「悪者」が錯綜した事例もありません。

斎藤知事について、あの騒動を大雑把に時系列で書きますと、最初にメディアで報道されたのは「パワハラ知事」としてでした。ですので、当初は「悪者」です。内部告発をした職員が特定され、その告発者が死亡したあたりが「悪者」の最高潮でしょうか。その結果、議会で不信任案が可決され、失職しました。

その後、再出馬するのですが、このあたりから風向きが変わってきました。先日逮捕・起訴されたN党の立花孝志党首が「2馬力選挙」と称して立候補したことも大きな反響を呼びました。このときのニュース映像で、60歳前後の女性がインタビューで「私はテレビニュースではなく、自分でSNSで調べて斎藤知事に投票しました」と答えていたのが印象に残っています。テレビ局がそうした人物を選んで放送したのかもしれませんが、それを割り引いても、斎藤知事を支持する人の多さには驚かされました。

ご存じの通り、結果として斎藤知事は再選を果たしましたが、そうなりますと、失職の要因になったパワハラなどの疑惑はいったいなんだったのでしょう。あれだけマスコミが騒いでいたことはいったいなんだったのでしょう。しかも話はそれだけでは終わりませんでした。なんと、選挙をサポートしていた広告代理店の選挙違反疑惑が浮上したからです。

この疑惑が表に出たきっかけは、「note」という投稿サイトに、広告代理店の女性社長が斎藤知事の選挙をサポートした経緯を書き込んだためです。おそらく宣伝の意図があって投稿したのでしょうが、選挙違反にまで思いが至らなかったのでしょう。この女性社長の経歴までもがマスコミで報じられ、一躍「悪者」印象が強くなってしまいました。人生はいつ落とし穴が待っているかわかりません。まさに絶頂から谷底へ落ちた感がありました。

しかし、斎藤知事はそうした問題にもひるみませんでした。それらの問題を乗り越えて現在に至るわけですが、第三者の僕からしますと、この一連の流れを見ていますと、斎藤知事が「いい者」なのか「悪者」なのか判断がつきかねます。そもそも「いい者」か「悪者」かの判断は、自らの立ち位置によって変わるものです。

話は少し逸れますが、ウクライナは現在ロシアから侵攻を受けています。EUはウクライナを支援していますが、最近は支援熱も少し冷めているように感じられます。しかし侵攻された当初、EU全体がロシアを非難し、ウクライナ支援に力を入れていました。その勢いでNATO加盟も進められようとしていたのですが、ハンガリーという国だけは頑なにNATO加盟を認めませんでした。

僕はそれが不思議でならなかったのですが、先日その疑問が解ける記事を目にしました。端的に言いますと、ハンガリーはウクライナと民族問題で揉めていたのです。つまり、ハンガリーにとって、ロシアは「敵の敵は友」の関係になります。歴史が絡むと、余計に「いい者」と「悪者」の境目が難しくなります。僕はプーチン大統領の行っていることを認めることはできませんが、ロシアの歴史をさかのぼっていきますと、考え込んでしまう部分もあります。しかし今の時代は第二次世界大戦終了時の状況を基に国境や国際関係が決まっていますので、それに従うのが正義だと思っています。

話を戻しますと、斎藤知事が「いい者」なのか「悪者」なのか、今でも判断がつきかねるのですが、似たようなことが静岡県知事でもありました。時おりマスコミでも報じられていましたが、リニア新幹線の工事が静岡県だけなかなか進んでいませんでした。それは川勝平太知事が「静岡県内工区」建設を許可していなかったからです。

その理由として、大井川の「水資源の減少」や「残土・環境破壊のリスク」などを挙げていましたが、識者の中には単なる嫌がらせと評する人もいました。川勝知事は15年間知事を務めましたが、最後はリニアとは関係のない失言で辞任することになりました。ちなみに失言の内容は新任職員向けの訓示で、簡単に言えば「県庁職員は頭脳・知性の高い者たちで、農業や畜産業の人たちとは違う」という差別的なものでした。これでは辞任に追い込まれても仕方ありません。

その意味では川勝元知事は「悪者」なのですが、最近になって「川勝知事が主張していたことにも理がある」と評価されるようになってきています。それは、リニア新幹線の開業延期がJR東海から発表されたからです。これを受けてマスコミは、川勝知事が懸念していた「南アルプスの水資源・生態系リスク」「残土処理問題」などを再評価する意見も聞かれるようになってきました。しかし実際のところ、その評価も賛否が分かれており、川勝知事が「いい者」か「悪者」なのか判断しかねる状況です。

このように世の中には「いい者」か「悪者」かわからないことが多くあります。よく「判断は歴史がしてくれる」と言いますので、「いい者」と「悪者」も歴史が判断してくれるでしょう。でも、「歴史は勝者によって作られる」とも言うんですよね。

悪者が勝者になったらどうしよう……。

じゃ、また。




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