ロシアから侵攻を受けているウクライナで「デモが起きている」というニュースを読み、違和感を覚えました。僕がウクライナに関して見聞きする報道の多くは、「ロシアからミサイルが飛んできて死傷者が出ている」といった緊迫した内容です。そうした状況下で「デモ」が起こるというのは、にわかには信じがたく、不思議に思ったのです。
そこでネットで調べてみたところ、「BBC」の日本語版ニュースがもっともわかりやすく解説していました。ざっくり言えば、「汚職に関連するゼレンスキー大統領の対応」に対する抗議デモでした。ロシアの侵攻をきっかけに、僕もウクライナという国家の歴史や内情に関心を持つようになったのですが、そのとき知ったのが、「ウクライナには汚職が蔓延している」という事実でした。ゼレンスキー大統領は、そうした政治状況の改革を掲げて誕生した人物です。
そのゼレンスキー大統領がつい最近、「汚職を取り締まる機関の権限を弱める法律に署名した」ことに抗議して若者たちがデモを起こしたようです。結果として、大統領はその抗議を受け入れる形で法律を撤回したのですが、それでもなおウクライナ政府のガバナンスには不安定な印象が拭えません。
僕はNHKの「映像の世紀バタフライ」を毎週見ているのですが、この番組では歴史を掘り下げて検証しており、ウクライナを特集した回もいくつかありました。先週は、ウクライナがさまざまな国に翻弄されてきた歴史が解説されていました。国家の変遷があまりにも激しく、ここではすべてを紹介できませんが、その複雑な歴史がウクライナで汚職が根強く残る背景と関係しているように思えました。
もちろん、過去の歴史も重要だとは思いますが、今を生きる人々にとって最も大切なのは「現在」です。過去にとらわれず、今を生きる人たちが幸せになるための選択をすることが最も重要だと僕は考えています。だからこそ、奇妙に思えてならないのです。ロシアの侵攻という国家存亡の危機に直面している現在においても、ウクライナが「一枚岩」になれていないという点に疑問を感じます。
以前も書きましたが、ロシアと接する地域では命を懸けた戦いが続いています。そんな中でも、首都キーウでは街中でのんびりとコーヒーを飲む人々の姿があります。別の報道では、「戦いたくない」という理由で国外に逃れた若者の映像も見ました。往々にして、そうした人々が戦争終結後に帰国し、大きな声で自らの権利や利益を主張するようになるものです。まるでドラマに登場する「ずる賢い人たち」のようですが、歴史の中にも同様の例があるように思えます。
BBCによれば、ウクライナの汚職への懸念から、EUによる支援の一部が滞っているそうです。もしかすると、「ずる賢い人たち」は、そうした混乱や不安定さの中で立ち回る方が都合がいいのかもしれません。だからこそ、良心を持つ人々が一致団結し、「一枚岩」になる必要があります。「一枚岩になることを妨げようとする人々」が実権を握らないよう、結束することがとても重要なのです。
とはいえ、「個人の幸せ」と「全体の幸せ」が常に一致するとは限りません。全体の幸福を実現するために、個人の幸福が制限されたり犠牲になることはよくあります。そんなとき、思い出すのがラグビー界でよく言われる言葉です。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」。これはフランスの小説『三銃士』に由来する言葉で、幸せな社会づくりにふさわしい理想を感じさせます。
この言葉は、「選手はチームのために戦い、それが巡って自分のためにもなる」という意味で、ラグビーという競技の中では非常に納得感のあるものです。ただし、一般社会においてはそれほど簡単に適用できる話ではありません。国家に置き換えた場合、「選手」は「国民」となりますが、すべての国民が「試合」に参加するわけではないからです。先に述べたように、戦争を避けて国外に逃れる人もいます。そうなると、「一部の人が全体のために戦う」構図に対して、不公平感を抱くのも無理はありません。時間が経つほどに、ウクライナが「一枚岩」でなくなり、EUなど各国の支援のあり方も揺らいでいくのは避けられないでしょう。
ラグビーには「ノーサイド」という言葉もあります。AIによる説明によれば、「ノーサイドの精神」とは、「試合が終われば敵味方なく、互いの健闘を称え合い、友情を深める」というものであり、そこから転じて「争いが終わったあとに互いを認め合い、和解する」という意味にも使われています。その精神が欠如しているように見えるのが、今の自民党です。
現在、「石破おろし」が公然と進められていますが、石破政権が誕生したのは昨年10月で、まだ1年も経っていません。たった1年で、いったい何ができるというのでしょうか。「参院選惨敗の責任」と声を上げる人たちがいますが、本当に石破政権にその責任があるのでしょうか。僕が思うに、自民党の支持率低下の原因は、石破政権の前の政権、さらに言えば安倍政権時代の「裏金問題」が未解決であることにあると思います。
にもかかわらず、「参院選の責任」を盾に、まるで鬼の首でも取ったかのように石破首相を引きずり下ろそうとする姿勢には疑問を感じます。基本的に、僕は石破政権に参院選の敗因があるとは思っていません。ネット上でも「石破やめるな」という声が多く見られ、僕と同じ意見の人もそれなりにいるようで、少し安心しました。
ラグビーの精神に倣えば、本来ならば昨年の総裁選が終わった時点で、自民党は一丸となって石破政権を支えるべきでした。しかし現実には、反石破勢力が正反対の行動を取っています。中には、総裁選で敗れたことの「腹いせ」に「石破おろし」をしているようにしか見えない人もいます。少数与党となった今こそ、自民党が「一枚岩」になるべき時なのですが、実際にはその逆を行く人々がいるのです。彼らは今後、どうやって政権を運営していくつもりなのでしょう。
ここで少し現実的な話をしますと、自民党が政権を維持するには、公明党に加えてもう1党の与党参加が必要です。昨日のニュースによれば、森山幹事長が「日本維新の会」の幹部と会談したそうですが、政権寄りの野党といえば、やはり「日本維新の会」が最有力候補かと思います。石破首相も、吉村代表はともかく前原共同代表とは特に意思疎通がうまくいっている印象を受けます。
それがもっとも表れていたのが、石破氏が首相に就任した直後、野党への挨拶回りをしたときの光景です。ほかの党では形式的なやり取りでしたが、前原氏との応対では、言葉や振る舞いの端々から「仲の良さ」が伝わってきました。実は僕の中では、立憲民主党の野田代表とも石破首相は「気脈が通じている」と感じています。いっそのこと、石破さん・野田さん・前原さんで新党を立ち上げてしまえばいいのに……なんてね。
それにしても、集団というものは、大きくなればなるほど「一枚岩」になるのが難しいようです。
……15人が限界かなぁ。
じゃ、また。