<お母ちゃん>

pressココロ上




先週はコラムをお休みしましたが、母が亡くなったことが理由です。5日(土)午前7時に危篤の連絡を受け、すぐに病院に駆け付けたのですが間に合いませんでした。享年90才でした。
常々、妻は僕のことを「世界一冷たい人間」と罵っていますが、自分でも自覚しています。ですので、親が亡くなっても「泣くことはない」と思っていました。ところが、病院に着き、受付で病室を確認しようとしたところ、「亡くなったこと」を告げられました。
霊安室へは病院のスタッフの方が案内してくれたのですが、促されるままに控室に入りますと、そこには姉と妹がいました。そして、二人の顔を見た瞬間に涙がとめどもなく流れてきたのです。不思議な感覚でした。
ハンカチで拭っても拭っても涙があふれてくるのです。これには、正直自分でも驚きました。一緒にいた息子も驚いていましたが、僕自身が一番驚いていました。止めようとしても瞳の奥から涙が込みあがってくるのです。
もしかしたら、僕は自分が思っているほど冷たい人間ではないのかもしれません。
ということで、今週は「母の思い出」を書かせていだだきます。
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僕が初めてお母ちゃんと出会ったのは昭和31年8月19日です。可愛い可愛い一人息子「タカアキ」として出会いました。それ以来、僕はお母ちゃんから「タカアキ」と呼ばれることになります。
僕の生まれたところは九州の離れ諸島の一つで戦後は米国に占領されていた時期があります。僕が生まれたとき、お母ちゃんの実家は地元でも裕福な層に入っていたようで、お母ちゃんは僕を連れてよく映画を見に行っていました。僕が最初に記憶に残っているお母ちゃんの光景は、映画のスクリーンに瞳を輝かせて見入っている斜め右下からの横顔です。

お母ちゃんは、俗にいうお嬢様だったようです。
しかし、栄枯盛衰は世の常です。のちに、一家は上京することになります。この辺の事情は僕には全くわかりませんが、お母ちゃんが姉と僕と妹という幼い子供3人を連れて船に乗っている光景を憶えています。おそらくお父ちゃんが先に上京しており、そこに家族を呼び寄せたものと思われます。
それにしても、都会から遠く離れた田舎生まれ育ちの30才前後の女性が小さな子供3人を連れて船で上京するのですから、その度胸に驚かせられます。
船の中で僕の頭に刻み込まれている光景は、船酔いでモドしている僕の背中をさすっているお母ちゃんの顔です。「タカアキィ、タカアキィ」と呼びかけていました。翌日、目を覚ますと、僕の周りにはコロッケの中身(注)がたくさん転がっていました。注:モドしたものが乾いて固まって、コロッケの中身のようになっていた様です
上京とは言いながら、正確には東京ではなく神奈川県の川崎市でした。僕たち一家は田んぼにポツンと建つ二世帯アパートの一つで暮らすことになりました。
そこでの一番の思い出は、「雪が降った」という理由で学校を休んだことです。それまで南国の温かい地域にに住んでいましたので、お母ちゃんたちは雪が降っただけで「緊急事態」と思ったのです。翌日、登校してみんなから笑われてしまいました。
僕が幼稚園の頃、バナナは高級品でした。ですから、普段バナナを食べることはほとんどなく、なにか特別なことがない限りありつけない果物でした。風邪かなにかで病院へ行った帰り道、僕をおんぶしながらお母ちゃんは「バナナを買って帰ろうか」と僕を喜ばせてくれました。
小学校時代、遠足がありましたが、そのとき僕はお母ちゃんに「大きなおにぎりを作ってほしい」とお願いしました。ソフトボールくらいの大きなおにぎりを持って行って、クラスメートからの“受け”を狙っていたのです。お母ちゃんは笑顔で喜んで作ってくれました。
このように基本的には優しいお母ちゃんですが、人格者ということではありません。ときには感情に任せて僕に接することもありました。
小学校3年生くらいだったと思いますが、僕はお母ちゃんに漢字の勉強を教えてもらっていました。居間兼食事部屋に小さなテーブルを置き、その上に参考書を広げて勉強を習っていました。
そのときは「しんぶん」という漢字を書かなければいけなかったのですが、僕はその漢字が思い出せませんでした。
最初のうち、お母ちゃんは優しく「よ~く考えて」などと話していましたが、僕が書けないでいると、次第に感情が高ぶってきたようです。言葉遣いもきつくなり、「なんでわからないの!」「習ったでしょ!」と強い口調になってきたのです。
僕としては、いくら考えても頭に浮かんできません。怒りはじめているお母ちゃんに恐怖心も感じ、ますます頭が真っ白になってしまいます。僕が鉛筆を持ったまま固まっているようすを見て、お母ちゃんは台所の隅に積んである新聞を指さし「あれを持ってきなさい」と言いました。
漢字が書けないことに焦っている僕は、言われるままに台所から新聞を持ってきました。お母ちゃんは僕が渡した新聞をテーブルの上に置くと、言いました。
「これを見て、『新聞』を書きなさい!」
僕はお母ちゃんの言っている意味がわからず、それまでと同じように固まったままでいました。その姿がお母ちゃんの怒りを倍増させたようで
「どこを見てるの!新聞を持ってきたんでしょ!新聞よ!新聞!ちゃんと見て!」
怒鳴り声を聞かされてしまいますと、僕はますます頭が混乱してしまいます。パニックになった僕は新聞のどこをみてよいのかがわからないのです。すると、
「タカアキィ!ちゃんと見なさいって言ってるでしょ!タカアキー!」
そして、我慢できなくなったお母ちゃんは思わず手のひらで僕の頭をたたいたのでした。お母ちゃんは感情に流される人間でした。

高校生の頃、我が家は駅から歩いて20分ほどのところに住んでいました。ある日、僕はお母ちゃんを自転車の後ろに乗せて駅まで行くことになりました。お母ちゃんの要望だったからです。
僕はお母ちゃんを乗せたまま勢いよく走りだしました。ある程度スピードが出ますと、お母ちゃんは「タカアキ、もうちょっとゆっくり走ってよ」と話しかけてきました。しかし、僕はそんなことはお構いなく、通常のスピードでペダルを漕いでいました。
自宅から駅まで向かう途中には神社があるのですが、そこには直角に曲がる角が連続であります。最初に左に90度曲がり、そして15メートルくらいですぐに右に90度曲がるのです。その最初のコーナーに入ったとき、背中越しに
「タカアキィ!恐いからゆっくり走って!」と
声が聞こえてきました。
しかし、曲がり角はスピードを出すからこそ面白いのです。僕はそのまま次の角も曲がり切りました。そのときです!「タカアキー!」という声とともにお母ちゃんは後ろの席から落ちたのです。
「落ちた」というよりは、お母ちゃんが恐さのあまり自ら飛び降りたのですが、スピードが出ている自転車から人間が飛び降りると、どうなるか。
それは、前のめりに倒れるのです。僕が後ろを振り返りますと、お母ちゃんはまるでスーパーマンが空を飛ぶように、両手を前に伸ばし、ザザーと身体全体で地面のうえを飛んでいました。
声は聞こえませんでしたが、お母ちゃんの目は「なんでー!タカアキー!」と怒っていました。
次週に続く。
じゃ、また。







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