<問題の根本は無関心>

pressココロ上




先月、「お母ちゃん」が亡くなったことで、このコラムにおいて「お母ちゃん」の思い出を4週続けてつづりました。人間は自分の思いを文章にすることで気分的にすっきるするそうですが、確かにそのような気分になりました。お母ちゃんの人生は90年間でしたので、1万字ではとうてい書き足りませんが、コラムに書くのにはこれくらいが適当ではないかと思います。赤の他人は、僕が思うほど僕のお母ちゃんに関心はないはずだからです。

その証拠に、「お母ちゃん」を書いたコラムのアクセスは特段増えてはいません。自慢ではありませんが、僕のサイトの訪問者はあまり多くはありません。それでも一つだけ自慢できることがあるとするなら、それは開設してから15年~16以上年経過していることです。

基本的に、僕のサイト「脱サラをする前に」を訪問してくださる方は「あなたはこうやってラーメン店に失敗する」のサイトから飛んでくる方です。そもそも「脱サラをする前に」を開設したのは、「脱サラしてラーメン店を始めたい人に役に立つ講座」というテキストを販売するためでした。今では無料で公開していますが、当初はあるサイトでテキストを販売していました。

その延長で「あなたはこうやってラーメン店に失敗する」も書いたのですが、これも当初は販売していました。そうした経緯で現在のサイトがあるのですが、「あなたはこうやって…」だけは「脱サラをする前に」とは異なるサーバーを利用しています。ですので、「飛んで」と表現しました。

僕のサイトのアクセス解析をしますと、「脱サラをする前に」のサイトは1日に数人ですが、「あなたはこうやって…」のほうは7倍くらい来ています。1~2年前ですと、もっと多かったのですが、その理由は「ラーメン」「開業」「失敗」などで検索をしますと上位に入っていたからです。しかし、SEO対策をなにもしていませんでしたので、今年あたりから順位が下がってきました。

そうした影響もあり、「脱サラをする前に」への訪問者も減っており、そのうえビジネスとは関連性の薄いコラムですので読んでくださる方はさらに減ることになります。コラムに限ったことではないのですが、文章を書くことが好きな人間としては「書いたものを誰かに読んでもらいたい」という渇望があります。「お母ちゃん」に関してはその気持ちがとても強くなりました。

そこで僕は、小説を投稿するサイトにも参加しているのですが、コラムに書いた「お母ちゃん」に少し手をくわえて小説投稿サイトにも投稿することにしました。

すると、どうでしょう。なんと読んでくださった方が1日で100人を超えていました。ビジネスの世界には「釣りは魚のいるところでやれ」という格言がありますが、「お母ちゃん」はまさにコラムではなく小説サイトに向いていたようです。

このようにしていろいろな人に読んでいただいた「お母ちゃん」ですが、お母ちゃんは特別な女性ではなく、ごくごく普通のおばちゃんでした。その普通のおばちゃんには「身近な人には優しくするけど、知らない人には冷たい」という特性があります。

例えば、知り合いの人が困っていたら「手助けをする」のですが、見たことも会ったこともない知らない人が困っていたときは「手助けをする気持ちにならない」のです。おそらく気配りのできる良心的な人ですと、相手がどのような人であろうとも「手助けをする」でしょう。

しかし、普通のおばちゃんたちは知らない人に対しては「なにも感じない」のです。それどころか、「迷惑に思う」ことさえあります。僕が思うには、決して悪気はないのですが、結果的に意地悪をしたことになります。それが「普通のおばちゃん」の特性です。

実は、この特性は僕の妻にもあるのですが、もしかしたなら男性女性に関係なく、あらゆる人間が持つ特性と言えるのかもしれません。ただ「普通のおばちゃん」はそうした傾向が強いのです。ですので余計に目立ってしまうように思います。繰り返しますが、「悪気がない」のが特徴です。

このコラムで幾度か書いていますが、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ氏は「愛の反対は憎しみではなく無関心である」と語っています。「知らない人に冷たくする」のも同様です。その根底には「知らない人に無関心」があるように思います。その証拠に、お母ちゃんをはじめ妻も「知っている人」にはほかの人以上に優しく接っています。

米国の俳優クリント・イーストウッドは「夕日のガンマン」や「ダーティハリー」などアクション俳優として有名ですが、年を重ねてからはヒューマンドラマを撮るようになっています。代表的なヒューマンドラマに「グラン・トリノ」という映画があります。この映画は「米国が移民国家であること」を思い至らせる内容で、一人暮らしの主人公ウォルトと隣家に引っ越してきた中国籍の家族との交流を描いた作品です。

引っ越してきた当初は嫌悪感を抱いているウォルトですが、いろいろな事件が起きるうちに親しくなっていくようすが描かれています。最後は、その家族を助けるために命を落とすのですが、どこの国籍であろうとも、また民族であろうとも顔見知りになると親近感が沸いてくるのは世界共通のようです。

このように人間には世界共通の「親しい人には手を差し伸べる」という特性がありますが、近年ではその特性が感じられない事件が報じられています。最近でそうしたことを感じさせる事件として、「教員間のいじめ事件」があります。僕がこの事件で真っ先に思ったのは「どうして周りの教師は助けなかったのか」ということです。

一緒に働いていたなら、若い教員がいじめられていたのはわかるはずです。IT関連の業種で個人で仕事をすることが多い職種ならともかく、教員という人間関係に敏感でなければ務まらない仕事です。そうした仕事に就いている人たちが、「いじめ」をわからないはずがありません。

わかっていながら、見過ごしていたことになります。

最近、教員の世界で問題になっていることはほかにもあります。それは非正規雇用の教員の劣悪な境遇です。1年ごとの契約で、しかも正規の教員に比べて格段に少ない報酬で、そのうえ正規の教員と同じように担任を受け持ち、部活動までこなしているそうです。報酬に見合っていないのは、同じ仕事をしている教員であるならわかるはずです。

周りの教員は、こうした状況に対してなにも感じないのでしょうか。不公平を是正しようという気持ちは芽生えないのでしょうか。「自分さえよければそれでよし」と考えているのでしょうか。僕にはそれが不思議でなりません。

子供たちに「困っている人がいたら、助けよう」と教えているはずの教員たちです。子供は純粋ですので、言っていることと行動が違っていることを見抜いているはずです。学校の問題はそこに根本的な原因があるように思います。

教員のみなさん、困っている人がいましたら助けてあげましょう。

じゃ、また。







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