<政治の不思議>

pressココロ上




日々生活を送っていますと、常に新しいニュースが生まれますが、ここ最近で僕が最も「へぇー」と思ったのは、26年前に名古屋で起きた殺人事件の犯人が逮捕されたというニュースです。「26年も前」という年月の長さも驚きでしたが、遺族である夫が、その現場であるアパートの一室をずっと借りたままにしていたことにも驚きました。結局、その執念が実って「犯人が逮捕された」と言ってもいいと思いますが、僕の関心は、なぜ「突然、急展開したのか」という点に向かいました。

僕はニュースを見るのが好きですが、たまに古いニュースが流されることがあります。どういったニュースかと言いますと、メディアが「風化させてはいけない」と思っているニュースです。そうした報道を続けるメディアには感動しています。やはり、事件を解決するには「風化させないこと」が一番だと思うからです。例えば、北朝鮮による拉致被害者の事件はその最たる例ですが、メディアは政権が変わったときなど、何か節目の出来事があるときには必ず報じています。もちろん、こうしたメディアの姿勢は好感が持てます。

その意味で、この年末の時期になるといつも報道されるのが「世田谷区家族一家殺人事件」です。この事件も名古屋の事件と同じ頃に起きたものですが、年末になると必ず報道されます。深夜に何者かが侵入し、家族4人を惨殺したという悲惨な事件でした。特異なのは、犯人が数時間にわたり家の中に留まり、冷蔵庫の中身を食べたり、トイレを利用したり、被害者のパソコンを使っていたことです。そうした事情もあって、事件当時は情報番組も含め、メディアで多く報道されました。しかし、どんな事件もそうですが、時間の経過とともに忘れ去られていくのが宿命です。そうした宿命を覆すかのように、「拉致事件」や「世田谷一家殺人事件」などをメディアが定期的に報道しているのは、とてもいいことだと思っています。

冒頭に書きましたように、僕は名古屋の事件が「急展開」で犯人逮捕に至った理由が気になっていましたが、ある番組での夫の発言によって、その理由が明かされていました。夫は「担当の刑事が変わったこと」と語っていました。僕的には、この発言はとても大きなインパクトがあると思うのですが、マスコミではあまり騒がれませんでした。しかし、考えてみてください。「刑事が変わった」ことで犯人逮捕に至ったということは、裏を返せば「それまでの刑事は一生懸命仕事をしていなかった」ことになります。これは本来なら、とても大きな問題です。しかし、マスコミはスルーしていました。なので、僕がツッコミます。

これを個人の資質の問題として片づけられては、被害者の遺族はたまったものではありません。どんな事件もそうですが、担当した刑事によって事件解決の成果が決まるのでは、あまりに不公平が大きすぎます。ですので僕は、刑事という仕事を個人の資質に委ねるのではなく、システムとして対応するように変えてほしいと願っています。そうでなければ、いつまで経っても不公平はなくなりません。

僕が「刑事」という言葉を聞いて思い出すのは、「松本サリン事件」で容疑者となった河野義行さんです。実は、僕が人生で最も尊敬しているのはこの河野さんなのですが、容疑者として扱われながらも、最後まで毅然とした態度・姿勢を貫いていました。とても普通の一市民ができる対応ではありません。

マスコミは常に扇動的に報道しますので、一時期は「毒ガス男」とまで書かれていたそうです。それでも河野さんは毅然とした態度で取り調べに臨んでいました。その後、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし、その流れで河野さんの容疑も晴れるのですが、地下鉄サリン事件が起きるまで、刑事もマスコミも河野さんを疑っていました。

その河野さんは、のちにその体験を何冊かの本にしていますが、そのうちの一冊を僕は読んだことがあります。その中で特に忘れられないのが、本の最後の部分に書かれていた文章です。そこには、担当した刑事について書かれているくだりがありました。それこそ、読んだのが20年以上前ですのでうろ覚えなのですが、「犯人ではない」と確定したあとに刑事さんからかかってきた電話のことが書いてありました。その担当刑事は、「犯人ではないことがわかりました」という言葉だけで、「謝罪の言葉は一つもなかった」と書いてあったのです。

これ、ひどくないですか!
最近は冤罪事件が続いたことで、取り調べのやり方も少しずつ改善しつつあります。ですが、昔の取り調べはかなり強引で偏向していたはずです。おそらく「お前がやったんだろ!」くらいのことは言われていたはずです。それが、犯人でないことが確定したあとでも「謝罪の言葉」を述べないのです。刑事と容疑者では、圧倒的に刑事のほうが立場が強いはずです。その強い立場の人が「自らの間違い」が確定したのですから、本来なら謝罪の一言でもあって然るべきです。それが、謝罪の言葉を何も発しないというのは、これ、ひどくないですか!

先日、「これからの刑事手続きに関する研究会」の初会合が19日、法務省で開かれた、というニュースがありました。僕の感想としては、「いつまで経っても警察や検察が有利な状況が変わらない」というものです。2007年に周防監督が『それでも僕はやってない』という冤罪事件をテーマにした映画を作っていますが、周防監督は今の刑事手続きに疑問を持っている方です。その周防監督のインタビューを、僕は以前読んだことがありますが、こうした審議会に出席したときの感想を述べていました。

端的に言いますと、「どれほどフェアじゃないと訴えても、検察側がそれを変えようとしない」ということです。僕はときたま書いていますが、「人質司法」ほどフェアじゃないシステムはありません。警察・検察の思い通りの供述をするまで身柄を拘束するなんて、こんな不公平・不平等なことはありません。「卑怯」とまで言ってもいいのではないでしょうか。

昨年の春のことですが、メジャーリーグの大谷選手の通訳を担当していた水原さんが、違法賭博容疑で逮捕されました。その水原さんの裁判などの様子が日本でも報じられましたが、裁判所に向かうまでの水原さんの雰囲気が、日本のように拘束されている感じではありませんでした。そこでAIで調べたところ、米国では基本的に「身柄拘束は例外」となっているそうです。日本とはあまりにもかけ離れた刑事手続きです。ですが、民主国家における「推定無罪」の発想からしますと、それが当然の手続きのように思います。

それに比べて、日本の刑事手続きのフェアじゃなさよ!です。2020年に起きた大川原化工機事件を覚えている方も多いでしょう。この事件は冤罪が確定していますが、身柄拘束された会社の幹部の方が、治療を受けられず亡くなっています。当時は、そのほかにもプレサンスコーポレーション事件という冤罪事件もありました。この事件では、取り調べ時の映像がニュース番組などで流れましたが、衝撃的でした。あれほど怒鳴られ、脅されたら、本当のことなど話せません。身柄拘束の問題に加えて、「取り調べの可視化」も重要な改善点です。

これまでにも袴田事件や足利事件など、冤罪事件が報じられてきましたが、きちんと調べるなら、おそらくそれ以上の冤罪事件が起きているように想像してしまいます。冤罪事件が起きる最大の要因は、身柄拘束にあると思っています。司法手続きについて素人の僕でさえそう思うのですから、専門家である司法関係者は、さらに強く問題点を感じてもいいように思います。ですが、実際はまったく正反対です。意地でも今の制度を変えないぞ!と思っているようです。

それで、一般市民である僕は疑問に思うのです。どうして、世の中の多くの人が「フェアじゃない」と思っている制度が改正されないのか。選択的夫婦別姓制度もそうです。経営者団体のトップも、労働者団体のトップも、普通に暮らす一般市民の多くも、ほぼすべてと言ってもいいのではないでしょうか。ほとんどの人が「選択的夫婦別姓制度」を支持しているのに、政治家だけが反対して、それが実現しない。こんな理不尽なことがあるでしょうか。おかしいですよ!

あ、でも政治家を選んでいるのは一般市民でした。

じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする