<投票率>

pressココロ上




先の選挙は、結局投票前に予想されていたとおりの結果となりましたが、僕が納得できないのは「投票率の低さ」です。報道によりますと「戦後3番目の低さ(53.85%)」とのことですが、「無責任極まりない」とがっかりしています。社会を作っていくのは誰でもない僕たち国民であるにもかかわらず、それを放棄している人が半分もいることに憤りさえ感じています。

よく「投票したい候補がいない」とか「自分の1票くらいではなにも変わらない」と言う人がいますが、そうした人に限って候補者について調べているわけでもなく、政治について考えていないのが実態です。簡単に言ってしまいますと、「面倒くさいことから逃れたい」「楽しいことだけやっていたい」などという気持ちからの行動にすぎないように思っています。

以前書きましたが、現在ロシアから侵攻を受けているウクライナでは「ロシアからの侵攻に対して、戦うのが嫌で国境から逃げ出そう」とする若者たちがいるそうです。そうした人たちを軍関係者が取り締まっている映像を見たことがありますが、これほど国家が緊急事態になっているにもかかわらず、「関わりたくない」と行動する人は、国を守るために命を懸けて戦っている兵士たちにあまりに失礼です。

このように書きますと、まるで僕が軍備増強派とか戦争賛成派と思われそうですが、僕はまったく正反対の考えの持ち主です。戦争が起きると一番弱い立場になるのはいわゆる社会的弱者です。力の弱い女性や子ども、お年寄りです。普通の青年にしても軍隊という上官の命令に従うしかない組織に組み入れられます。つまり、自由が制限される社会になるのですが、そうした社会で最も得をするのは「力の強い者」です。肉体的な力もそうですし、権力的な力もそうです。そのような社会にならないようにするためには、戦争にならないように思慮深く活動してくれる政治家を選ぶことが大切です。

少しばかりウクライナについて書き足しますと、ウクライナの現大統領はゼレンスキー氏です。ご存じの方も多いでしょうが、ゼレンスキー氏は元々コメディアンでした。あるドラマで大統領にまで上りつめる役を演じていたことが影響して実際に大統領になったそうです。では、なぜ政治に素人のコメディアンが選挙で勝ったかといいますと、それまでの政権では賄賂がまかりとおり、不正にまみれていたからです。国民はそんな政治家に愛想をつかして政治に素人のコメディアンに国家運営を任せたわけです。

と、いろいろな記事で読んだのですが、専門家でもないただのおじさんである僕の推測では、もしかしたなら「不正にまみれていたウクライナをゼレンスキー大統領が正常化させるかもしれない」と恐れて、プーチン大統領は侵攻を決断したのかもしれません。

ウクライナを見ていますと、本当に選挙の重要性を痛感します。政権が不正にまみれ不安定になっている国家は他国から侵攻をうけやすい土壌になっています。そうした国家にしないために「1票は重要」です。「戦争が嫌で逃げる」という状況にならないようにするためにも投票には行かなければいけません。無責任な人でも自由に生きていける社会にするためにも「1票」を投じることは大きな意味があります。

僕が今ハマっているテレビ番組はNHKの『映像の世紀バタフライエフェクト』です。何年か前に、年末に似たような特番を観た記憶がありますが、現在は毎週月曜日夜に放映されています。NHKは「教養番組」とうたっていますが、僕からしますと本当に教養が身につくと思っていて毎週感動しながら観ています。ちょっとほめ過ぎかもしませんが、この番組が観られるだけで「受信料も惜しくない」とまで思っています。やっぱ、ほめ過ぎか…。

先日の番組では「ナチスを負かした」あとの東欧諸国の様子を映していました。以前、「関心領域」というアウシュビッツ収容所の隣で暮らすナチス所長のルドルフ・ヘス一家の生活を描いた映画について書きました。その映画では人間の持つ悲しく恐ろしい性がナチスの一家を例にして映し出されていました。『映像の世紀バタフライエフェクト』では、そうした性がまさにナチスだけではないことを証明していました。

白黒の映像では、戦争に勝利した瞬間に、それまでナチスから虐げられてきたユダヤの人たちが仕返しとばかりにドイツ人を虐げていました。「結局、同じことをしている」というのが僕の正直な感想です。人は誰でも残虐性を持っている生き物のようです。先週、「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」という映画を観たのですが、最後のほうで主人公の「シーザー」が自分も「復讐に取りつかれていた」と悟る場面があります。いま世界で争っている世界の指導者たちには、是非観てほしいものです。

その世界で最も影響力を持つ米国の大統領選挙が2日後に行われます。今の選挙を見ていて昔と違うのは「NO SIDE(ノーサイド)」がなくなったことです。この言葉はラグビー用語ですが、今ではいろいろな場面で使われるようになっています。

「エキサイトし過ぎて殴り合い寸前まで行ったとしても、試合が終われば笑い話にして全てを水に流し、敵も味方もなく互いを尊重する。それがノーサイドの精神」
(https://chouseisan.com/l/post-10922/より引用)

それを象徴するかのように、かつては政党が異なっていようが、選挙が終わったあとに「新任の大統領がヘリコプターで去っていく旧大統領を見送るセレモニー」がありました。しかし、トランプ大統領は退任時にそのセレモニーを行いませんでした。「NO SIDE(ノーサイド)」の気持ちの欠片もない振る舞いだったのですが、それどころか、「選挙結果を認めない」と支持者に対して議会議事堂襲撃まで促しています。このような人物が大統領だったことは驚きですが、今回も共和党の候補になっています。共和党は政党ではなくなったと思わずにはいられません。

もう忘れている人も多いかもしれませんが、トランプ氏が8年前に立候補したとき、当初は「泡沫候補」として捉えられていました。なにしろそれまで政治経験がまったくなく、不動産業の経営者やテレビ番組の司会者としてしか活動していなかったからです。全米に名前を知られたのは人気テレビ番組だそうですが、その点ではゼレンスキー大統領と似ている部分もあるかもしれません。

こうやって見ていきますと、選挙で重要なことは政治姿勢でもなく政策力でもなく知名度ということがわかります。日本でも同様の事例が幾つもありますが、日本の選挙制度では政治の未経験者が主要なポストに就くことはありません。その意味では健全といえるかもしれませんが、反対に言いますとそれまでのやり方を断ち切ることができないとも言えます。

実は僕は、今回の石破新首相が誕生してから日も経たないうちに解散、総選挙という一連の流れで俄然やる気が出ていたのは官僚ではないか、と思っています。なにしろ政治の世界がドタバタしていようが、社会活動は営まれていますし、外交も動いています。政治家が選挙に忙殺されているからといって、社会活動が中断したり、外交が行われないことはありません。そうしたときに頼りになるのが官僚です。日本を動かしている使命感を堪能しているのではないでしょうか。

しかし、日本の政治は選挙で選ばれた政治家が担ってこそ民主主義です。いくら間違っていようとも選挙で選ばれた政治家が運営してこそ民主国家です。選挙が行われなかったり、もしくは形ばかりの選挙で選ばれた人が国のトップに就く国家は独裁国家です。個人の自由がまったく許されない独裁国家です。そのような国家にしないために次回の選挙の投票率が最低でも60%後半になることを願ってやみません。

じゃ、また。




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