<事実の伝え方>

pressココロ上




いつも自慢していますように、僕は現役でバリバリ働いている人よりは時間の余裕がありますので、いろいろなニュースメディアをチェックしているつもりでいました。ところが、あくまで「つもり」でしかなかったことを、このたび自覚せねばならない出来事がありました。それは、高市総裁の会見前に、大手マスコミ所属のカメラマンがつぶやいた「支持率下げてやる」という発言が炎上していたことを知らなかったからです。

ちょっと話が逸れるのですが、最近僕はサイト更新でミスをすることが多くなっています。それは「日付」です。毎回更新するときに「日付」も変えているのですが、先週は「日付」をそのままにして更新していました。実は、ここ2ヶ月で3度ほど失敗してしまっていました。もうボケたのかと自分でも情けなく思っているのですが、読者の皆様、もしトップページの「日付」が変わっていなくても、コラム等各コーナーは更新されていますので、一応見ていただくようお願いいたします。僕は毎週更新しています。(^_^)

それでは、本題に戻ります。

もう多くの人はご存じでしょうが、なぜ「支持率下げてやる」発言が広まったかといいますと、「時事通信社所属の男性カメラマンが会見を待つ間、ネット生配信用に準備された機材がすべてオンラインになったままだった」(ヤフトピ記事より引用)ことが理由です。それに気づいたユーザーが拡散したのですが、炎上しないほうがおかしいくらいの「発言」でした。

今、僕は「発言」と書きましたが、実際の音声を聞いていませんので推測でしかありません。ただ、「発言」というよりは「つぶやき」くらいの感じだったのではないでしょうか。ヤフトピの記事には「乱暴な軽口」と書いてありましたが、まさに「軽いジョーク」だったのかもしれません。しかし、ある意味「本音」とも取れます。

この男性カメラマンは「ベテラン」とも書かれていましたが、ベテランであれば言いそうな発言ではあります。時代錯誤も甚だしいですが、昭和時代の感性が抜け切れていないマスコミ人なのでしょう。これだけマスコミを「マスゴミ」と揶揄するネット風潮があることを知らなかったのでしょうか。河島英五さんではありませんが、まさに「時代おくれ」です。

僕は最近テレビがつまらなくて仕方ないのですが、特にバラエティー番組にそう感じています。その理由は、撮影している場面を想像してしまうからです。例えば、一般の人にインタビューをする場面では、撮影する前にテレビ局側がいろいろな算段や準備をしてから撮影をはじめます。そのような状況で一般人が普通にしゃべれるはずがありません。想像してみてください。あなた、テレビカメラを向けられて普通にしゃべれますか? そういう場面を想像してしまうので、気持ちが白けてしまうのです。

それ以前に、インタビューに答えてくれる人を探すのも一苦労です。以前、街頭インタビューをしている撮影クルーを見たことがありますが、アシスタントのような人がインタビューに応じてくれる人を探すのに苦労していました。ほとんどの人が手を振って通り過ぎていました。近くを通った僕にも声をかけてきましたが、笑顔で断りました。(^_^;)

仮に、インタビューに答えてくれる人が見つかったとしても、番組の趣旨に沿った話をしてくれる人とは限りません。例えば、名所を紹介する番組で「感動しなかった」と答える人を選んでは番組が成り立ちません。つまり、街頭インタビューはインタビューに答える人を決めた段階で、番組の成果がある程度決まってしまうのです。

僕が特に「つまらない」と思っているのが「グルメ番組」です。番組を盛り上げるためにテレビ局側はいろいろな工夫をしているはずです。いわゆる「食レポ」も番組側で事前に準備している節を感じさせる発言がたくさんあります。繰り返しになりますが、一般の人は食事をする場面を撮影されるときは間違いなく緊張します。それにもかかわらず、自然に食べている映像を見せられると、「いったい何回撮影したんだ」もしくは「何回練習したんだ」と想像してしまいます。僕が白けてしまう気持ちも理解してもらえると思います。

それでもバラエティはまだ我慢できます。あるお笑い芸人さんがバラエティ番組での発言で炎上したとき、「これ、バラエティだから!」とSNSに投稿して炎上が収まったことがありました。こうした現象を見ていますと、バラエティ番組は真実よりも「盛り上げ」のほうを重視することが世の中に受け入れられているように思います。それをあえてある言葉を取り上げて問題視するのは「揚げ足取り」でしかありませんし、だからこそ炎上も収まったのでしょう。

ですが、ニュース番組は違います。「盛り上げ」など必要ありません。視聴者が求めているのは「事実」です。このコラムでも何度か書いていますが、第一次トランプ政権のときに「もう一つの事実」という言葉が出てきました。「事実」に「一つも二つもない」はずですが、それが堂々とまかり通っているのが今の時代です。

「事実」は一つでなければいけませんが、世の中には「複数存在すること」もあります。それを思い知らされたのが「正義」でした。「正義はいくつもある」と言われますと理解に苦しみますが、例えばイスラエルとパレスチナの戦いを例に挙げますと、どちらにも「正義」を掲げる理由があります。歴史を遡れば、どちらの言い分にも理があることがわかります。「正義」は一つではないことを実感しました。

「正義」が複数あることは理解しましたが、「事実」はやはり一つでなければいけません。そうでなければコミュニケーションがとれなくなります。リンゴが一つあって、それを半分にしようとするときに、ある人が「リンゴはない」と言ってしまっては会話が成り立ちません。どのように半分にするかの話をする以前の問題です。なので「事実」は一つでなければいけません。

問題は「事実」の決定方法です。右から見た場合の「事実」か、左から見た場合の「事実」かで変わってくることはあるでしょう。また、上から見た場合と下から見た場合でも「事実」が違って見えることもあるでしょう。そのときに大きなサポートとなってほしいのがマスコミであり、メディアです。

マスコミという大きなくくりにしてしまいますと、それこそ昭和時代の三流新聞や三流週刊誌のように、デタラメとまでは言いませんが、噂段階のことを報じるのを「特徴・特技」としているマスコミもあります。ですので、ここでは大手メディアに限定しますが、その大手テレビ局、新聞といった大手メディアこそ、中立の視点で出来事や物事を見て、素人にもわかるように伝えるのが一番の責任であり使命だと思っています。

一般の人では目に触れることができない事実を伝えるのが大手メディアの役割ですが、その伝える内容に幅があっては、一般の人はどれを「信じていいのか」わからなくなります。ですので「中立の視点」が大切なのですが、「中立とはなんぞや」と思う人もいるでしょう。その「中立」を決めることこそが、大手メディアにしかできない「プロの技」のはずです。

ですので、「大手メディアのプロ」を自認するのであれば、「支持率下げてやる」ではなく、「中立な視点で伝えてやる」という気概で情報を伝えてほしいものです。僕はNHKの「ブラタモリ」を楽しく見ているのですが、この番組ではたまに「撮影している様子」を映し出すことがあります。タモリさんの周りにはカメラを持っている人、マイクを持っている人、そのほかにも多数のスタッフがいるのがわかります。

このように、今の時代はカメラの裏側を見る機会も多いのですから、大手メディアの人たちは「自分たちも見られる側」であることを自覚する必要があります。人間、「見られている」と思うと、自然に姿勢を正そうとするものです。

じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする