<印象の大切さ>

pressココロ上




 今年も早いもので2か月が過ぎました。あと9か月が過ぎますと師走です。一年はなんと早いのでしょう。…などと、昔井上順さんがギャグを飛ばしていました。今から30年以上前のお話です。今の若い人はご存知ないと思いますが、井上順さんは元スパイダースのメーンバーで堺正章さんとともにボーカルを担当していた方です。井上順さんはスパイダースが解散したあとに「夜のヒットパレード」の司会者を務めていました。初代が前田武彦さんでその後任でした。因みに古舘さんはそのあとの司会者です。
 井上さんはお笑い芸人ではありませんでしたが、話術がとても長けていて面白ネタをいくつも披露していました。スパイダースを解散したあとの新天地を司会者の方向に決めていたのでしょう。やはり、どんな職業であれ、新天地に進むときはかなりの覚悟と努力が必要です。
 もう一人のボーカルだった堺正章さんも同じ方向に進みました。堺さんは今の若い人には「チューボーですよ~!のMCをしている人」のほうがわかりやすいかもしれません。堺さんが司会者を務めていたのは「紅白歌のベストテン」という番組です。因みに、堺さんのお父様は有名な喜劇役者でした。
 「夜のヒット~」はスタジオでの制作ですが、「紅白歌のベスト~」は公開番組でした。いつも渋谷公会堂というところで番組を撮っていたのですが、実は僕は小学生か中学生の頃に生で見に行ったことがあります。当時は中野に住んでいましたので友達と見に行ったのでした。
 しかも舞台の上から見たのでした。番組は観客席のほかに舞台の後ろのほうにも応援席があり、そこに座ることができたのです。つまり歌っている歌手を後ろから見ていたことになります。
 その時にとても印象に残ることがありました。それは和田アキ子さんが歌っているときのことです。歌いだしサビのあたりに差しかかった頃、マイクを持っていないほうの手を背中のほうに回し、観客席からは見えないように伴奏を指揮している人にしきりに手のひらを上下させて、なにかの合図を送っている姿でした。「テンポを落とせ」といっているのか「音量を落とせ」といっているのかはわかりませんでしたが、必死に合図を送っていました。
 堺さんが最近注目を集めたのはヒロミさんを干した張本人という噂でした。ヒロミさんは今では売れっ子のひとりですが、2~3年前までの約10年間芸能界から消えていました。その理由として「プロヂューサーに嫌われた」とかいろいろありましたが、「大物芸能人に嫌われた」という噂もあり、その大物芸能人の名前としてが堺さんが上がったのでした。
 結局、この噂については当事者の二人がある番組で笑い話のネタのひとつとして決着をみましたが、実は僕は疑っています。なにしろ芸能界から消える前のヒロミさんは生意気を絵に描いたような振る舞いで有名でしたし、堺さんも若手の生意気な芸人を極端に嫌っていたからです。
 しかし、生意気を理由にするなら同時期に売れていたダウンタウンの浜ちゃんも同様です。ですが、浜ちゃんは干されるどころか増々売れて行き、先輩芸能人の頭を平気で叩いたりするのが「ウリ」になったほどです。若いアーチストの中には「浜ちゃんに頭をはたかれると売れる」というジンクスまであったようです。
 ヒロミさんは復活をしてからいろいろな番組で消えていた10年間について語っていますが、消える前までもMCを務める番組も幾つか持ちしっかりとした売れっ子でした。ゴールデンの番組は少なかったかもしれませんが、深夜帯などでは押しも押されぬ大物だったのです。
 僕が印象に残っているのは、今売れっ子の一人であるロンブーの淳さんがヒロミさんに教えを請いに行く企画の番組でした。ロンブーの淳さんもゴールデンの立ち位置を確たるものにするまでは深夜でそこそこMCを務めていました。この道はすべてのお笑い芸人たちが通る道ですが、その頃の淳さんは「確たる」まではたどり着いていない立ち位置でした。
 番組では淳さんがヒロミさんの控室に押しかけ、土下座をして「どうすればレギュラーを確たるものにできるのでしょうか?」と質問していました。ヒロミさんは半分笑いながら、しかし真面目に答えていたのですが、「俺の場合は深夜だけだけどな」と前置きをしていたのが印象的でした。
 ほぼ同じくらいに出てきた中でダウンタウンやウッチャンナンチャンたちがゴールデンでも番組を持っている中で、深夜に活躍している自分の立ち位置をシビアに理解している姿が印象的でした。しかし、その後しばらくして深夜からも消えてしまうことになります。芸能界の厳しさを垣間見せてくれるできごとです。
 このように芸能界はとてもシビアな世界ですが、そのような世界では後輩であろうが先輩であろうが誰であろうがライバルです。ライバルを蹴落とさなければ生き残っていけない世界です。僕は毎週日曜に「ダーウィンが来た」を見ていますが、この番組は自然界の厳しい競争社会を紹介する番組です。自然界では競争に負けることは死を意味することです。芸能界は自然界と似ているところがあります。
 そのような厳しい芸能界でありながら演歌の世界とお笑いの世界だけは後輩に優しくするのが習わしになっているように思います。演歌の世界やお笑いの世界では売れた人は必ずと言っていいほど、売れなかった時代に受けた先輩からの厚遇を話します。実際には「出てきた杭は打つ」こともあるのでしょうが、全体的には「後輩を助ける」風潮があるように思います。
 先ほどのロンブーの淳さんは早くから東京に進出して成功した一人ですが、淳さんから温情を受けた後輩はたくさんいます。また雨上がり決死隊の宮迫さんたちは「まだ売れていない、もしくは売れなかった芸人」を紹介する意図がある番組まで作っています。このような光景は傍から見ていたとても気持ち良いものです。
 テレビでレギュラーを勝ち取るのは簡単なことではありません。そんな中で僕が最も不思議というか底力を感じるのは「今でしょ!」で有名になった予備校講師の林修先生です。なにが凄いかといいますと、引き出しの多さです。
 ある人がなにかのきっかけでテレビのレギュラーの座を得ることはよくあることです。しかし、そうした人たちのほとんどは一過性の場合がほとんどです。いわゆるブームが終わるとともに当人もお払い箱になる流れです。しかし、林先生は違いました。もう一過性でもブームでもないのは明らかです。
 しかもさらに凄いところはゴールデンの時間帯でずっとレギュラーを持っていることです。さらにさらに凄いところは一つの局ではないことです。僕が知っているだけでテレビ朝日、フジテレビ、TBSでレギュラーを持っています。下手なタレントよりも活躍しています。
 このような状況を見ていますと、芸能界で生きていく中で大切なことは番組制作者に好感を与えることです。もちろんその前提として能力や人間性が優れていることが必要です。それを備えたうえで制作者に好印象を与えることが芸能界を生きていく要諦のように思います。
 そして、これは就職活動においても当てはまります。就活が解禁になりました。就活という競争の中においてもライバルを徒に蹴落とそうとするのではなく、「できたら一緒に採用されたい」というくらいの心構えを持つくらいの余裕を持つことが大切です。人間は渦の中に入ってしまうとどうしても心の平衡感覚を失いがちです。追い込まれたときに、結局最後に現れるのは自分の本性です。その本性を認めてくれる会社と出会えることが就活における勝利です。
 就活生、頑張れ!
 じゃ、また。




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